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東京高等裁判所 平成元年(う)524号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人佐和洋亮提出の控訴趣意書に、それに対する答弁は、検察官提出の答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

所論は、要するに、本件速度測定装置の電波ビームの投射角度が、適正角度の二七度より大幅に小さかったため、被告人の運転する普通乗用自動車の速度が実際より過大に測定されていたので、原判決が同装置による測定結果に従って、被告人車が五五キロメートル毎時の速度で進行したとの事実を認定したのは、事実を誤認している、というのである。

そこで、原審記録を調査し、所論の当否を検討する。

一  関係証拠によれば、群馬県警察本部高崎警察署勤務の警部補佐藤保男、巡査部長粕川敏己、巡査高山敏夫、巡査設楽安則ら警察官八名は、昭和六一年六月九日午後一時三〇分ころから同四時三〇分ころまでの間、同県公安委員会が最高速度を四〇キロメートル毎時と指定した高崎市飯塚町二五二番地付近の県道高崎・渋川線の東側歩道上に、レーダー式車両走行速度測定装置の日本無線株式会社製JMA-2A型(以下「本件速度測定装置」という。)を設置し、同市下小鳥町方面から同市台町方面に進行中の車両について速度取締りを実施中、被告人は、同日午後一時三九分ころ、普通乗用自動車(群馬五八と×○×○)を運転して同所を通りかかり、本件速度測定装置によりその走行速度を五五キロメートル毎時と測定されて、右警察官らに検挙されるに至ったことが明らかである。

二  日本無線株式会社作成のJMA-2A取扱説明書によれば、本件速度測定装置は、マイクロ波のドプラ効果を利用し、マイクロ波の狭い電波ビームを道路に向けて常時アンテナ(検出部)から発射しておき、この電波ビーム内を走行する車両からのドプラ効果を受けた反射波を同一のアンテナで受信して、車両走行速度に比例したドプラ周波数信号を検知し、これを正確な時間間隔をもった電気信号で計測して時速換算を行い(計算部)、記録する(記録部)ものであるところ、本件速度測定装置の計算部の電波ビーム投射角度を二七度に設定した場合(零度ないし一〇度にも設定できることになっていたが、本件に際しては、二七度に設定されていた。)、本件速度測定装置の検出部を道路に対し二七度の向きに設置しなければならず、右設置角度が二七度と異なった場合は測定結果に誤差が生じ、設置角度が二七度より小さいとプラスの誤差(二七度より大きいとマイナスの誤差)を生じることになると認められるので、本件速度測定装置の検出部の道路に対する角度が二七度に設置されていたか否かについて考察する。

1  検出部の設置を担当した高山巡査は、原審第六回及び第七回公判において、「歩道の縁石から五〇センチメートル内側に入った位置(司法警察員作成の実況見分調書記載の〈A〉点、以下〈A〉点という。)に検出部の中心を置き、あらかじめ検出部の方向が二七度となるように同部の照準器を合わせたうえ、補助者の設楽巡査に、右の歩道の縁石から、下小鳥町方面へ向けて縁石沿いに一〇メートル測ってもらい、そこから直角に五〇センチメートル歩道内側に入ったところに停止棒を立てさせ、右照準器でこれを見通すことにより、検出部の方向が道路に二七度となるようにした。」旨を証言し、設楽巡査も原審第二回及び第一四回公判において、これに符合する証言をしている。

しかし、原審第二回検証調書によれば、昭和六三年六月一四日に実施された右検証に際し、高山、設楽両巡査が証言するとおりの操作を行って位置関係を決め、検出部の照準器から、停止棒の代わりに立てた測量用ポールを見通したところ、中間にある街路樹の楓の幹が邪魔になって、右ポールを見通すことができず、楓を車道側に押して、始めて見通しが可能となったことが認められる。なお、昭和六二年六月二日に行われた原審第一回検証の結果を記載した検証調書には、右の見通し状況についての記載はないが、被告人は、原審第九回公判において、右検証の際にも楓ないしその添木が見通しの障害になっており、楓を押してようやく見通しが得られた旨供述している。

2  設楽巡査は、昭和六一年八月一五日に行われた検察官の取調べにおいて、「高山巡査を補助して検出部の設置を終えてから、電波ビームがどの辺りに投射されているかを確かめようとして照準器をのぞいてみたところ、その方向は、追越し車線内にある、台町寄りの菱形道路標示の台町側先端部分(前掲実況見分調書記載の〈2〉点、以下〈2〉点という。)を指していた。そして、取締りを始めると、最初に被告人車が追越し車線を進行してきて、〈2〉点を通過した際、違反車の通過を知らせる警報ブザーが鳴った。」旨を供述し、更に原審第二回公判においても、右と同趣旨の証言をしているところ、原審の第一回、第二回各検証調書及び須崎幸一作成の見取図によれば、検出部が設置された〈A〉点から道路と二七度をなす線は、〈2〉点の約一四メートルも台町寄りの地点を通り、〈A〉から〈2〉点を見通す線は道路と約一三度をなすにすぎないと認められる。

もっとも、設楽巡査は、原審第一四回公判に至って、「検出部の設置後、電波ビームの投射方向を確認するため照準器をのぞいたようなことはないし、被告人車が通過して警報ブザーが鳴った位置は、〈2〉点ではなく、〈A〉点から約一五メートルの地点である。」旨証言するようになっているが、同巡査作成の昭和六一年六月一三日付捜査報告書中に、右の被告人車の通過地点について同旨の記載があることを考慮しても、同巡査がその後の実況見分において、同地点を〈2〉点であるとして指示説明をしていることなどからすれば、右証言は、従前の供述が破綻してきたのを知って、これを取り繕おうとしたものとみられないではなく、措信し難い。

3  このような状況からすると、本件速度取締りに際し、高山、設楽両巡査が証言するとおりの操作を経て検出部が設置され、その設置角度が道路に対し二七度になっていたとは認め難く、右角度は二七度より小さく、速度測定結果にプラスの誤差が生じていた疑いが濃厚に存在するといわざるをえない。

原判決は、検出部は、〈A〉点よりも更に車道から離れた歩道の内側に設置されていた旨を認定しており、そうであるとするならば、〈A〉点から停止棒への見通しが街路樹によって妨げられるようなことはなくなるとともに、右設置地点から〈2〉点を見通す線と道路との角度も前記の約一三度よりは大きなものとなり、高山、設楽両巡査の証言中の疑点が解消されるように思われないではない。

しかし、関係証拠に徴しても、原判決認定のような事実を認めるに足りる証拠は見当たらないのみならず、検出部の位置が〈A〉点よりも歩道の内側にあったとすれば、その程度のいかんによっては、同地点から停止棒への見通しは得られるものの、歩道上を通行する人や自転車の関係から、その位置を大幅に歩道の内側にすることは実際上不可能であるうえ(設楽の原審第一四回公判における証言参照)、検出部の位置をいかに大幅に歩道(幅員は約三メートル)の内側に入れようとも、その地点における〈2〉点を見通す線と道路との角度は二七度に達しえないことが否定し難いから(前記の各検証調書及び見取図参照)、原判決のような認定に立っても、検出部が適正角度に設置されていたことにはならない。

三  設楽巡査は、昭和六一年六月一三日付捜査報告書中で、「下小鳥町方面から目測速度五五ないし五六キロメートル位の高速で進行してくる被告人車を発見し、速度違反となるおそれがあるので、同車を注視していると、警報ブザーが鳴った。」旨の記載をし、また、原審第二回証言においても、「検出部の向いている方向を注視していた際、目測速度五五から六〇キロメートル毎時で台町方面に向かってくる被告人車を発見し、同車が測定地点を通過したときに警報ブザーが鳴ったので、記録係に通報した。」旨を供述している。

しかし、右の記載及び証言の内容は、必ずしも合致していないうえ、設楽巡査は、検察官に対しては、「被告人車が〈2〉点の約二〇メートル手前を進行してくるのを見かけ、少し速いなと思っていたところ、〈2〉点に差しかかったとき警報ブザーが鳴ったので、記録係等に通報した。」と供述するにとどまっていること、本件速度測定装置は、五五キロメートル毎時以上の車両が通過したときに、警報ブザーが鳴り、速度測定をするように調節されていたことなどに照らして、右の記載や証言のように、設楽巡査が被告人の速度までも明確に現認していたとは容易に信じ難く、同巡査の現認結果に基づいて、被告人車の速度測定が正確であったということはできない。

四  司法警察員作成の速度違反取締り実施結果報告書謄本及び粕川巡査部長、設楽巡査の検察官に対する各供述調書によれば、本件速度取締りの際検挙した違反者は五〇名で、検挙現場で否認したのは被告人を含め二名にすぎず、他の者は違反事実を争わなかったうえ、否認していた被告人以外の一名も交通切符の即日処理日に出頭して違反事実を認めるに至ったことがうかがわれる。

しかし、被告人以外の者が違反事実を認めたことが、直ちに同人ら運転の車両の走行速度が本件速度測定装置により正確に測定されていたことを意味するものとは断じ難く、他に解する余地もないではないから、右事実から被告人車の走行速度が正確に測定されていたと推認するのは困難である。

五  その他、記録を調べてみても、被告人が原判示の日時場所において、五五キロメートル毎時の速度で自車を走行させたとの事実を証明するに足りる証拠は見当たらないから、結局、原判決が右事実について証明があるとしたのは事実を誤認したものといわざるをえず、この誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は理由がある。

よって、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により被告事件について更に判決することとする。

本件公訴事実の要旨は、「被告人は、昭和六一年六月九日午後一時三九分ころ、公安委員会の道路標識によりその最高速度が四〇キロメートル毎時と指定されている群馬県高崎市飯塚町二五二番地付近道路において、その最高速度を一五キロメートル毎時超える五五キロメートル毎時の速度で普通乗用自動車を運転して進行したものである。」というのであるが、既に述べたとおり、右日時場所で被告人車が五五キロメートル毎時で進行していたと認めるに足りる証拠は見出し難い。

なお、被告人は、昭和六一年二月一〇日群馬県公安委員会から三〇日の運転免許の効力停止処分を受けているため、昭和六一年法律第六三号による改正前の道路交通法一二五条二項二号により、同条項にいう「反則者」には当たらないところ、被告人は、捜査当初から原審公判に至るまで、指定最高速度を約五ないし七キロメートル毎時超える約四五ないし四七キロメートル毎時の速度で走行していたことを自認しているが、これを裏付けるに足りる適確な補強証拠は存在しないから、被告人が自認する範囲内においても、その事実を認定し被告人を有罪とすることはできない。

したがって、本件公訴事実はその証明がないので、刑訴法三三六条、四〇四条により、被告人に対しては無罪の言渡しをすべきものである。

以上の理由によって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 横田安弘 裁判官 宮嶋英世 裁判官 井上廣道)

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